熟練者の勘だと思われていた耳は、測れる違いを聞いていた
打音検査と、音が仕事の道具である職場(第14週・第4回)
この4回、働く場所の音を見てきました。耳が削られる音、仕事の邪魔になる音、危険を知らせる音。最後は、音そのものが仕事の道具になっている職場です。トンネルや橋のコンクリートを、ハンマーで叩いて点検する打音検査です。
この方法の位置づけを、国土交通省の技術研究開発の報告書がこう書いています。コンクリート構造物のうき・剥離の検知・診断は、検査員がハンマーで直接叩いて確認する打音検査が広く普及しているが、高所での危険を伴う作業であり、判定の良否は検査員の技量に左右される。損傷の程度や位置の記録はスケッチや局所的な画像データしか残らず、判定自体が客観的なデータに基づくものとなっていない。技量に左右される、客観的でない。そう書かれています。
2012年(平成24年)12月2日の朝、中央自動車道上り線の笹子トンネルで、天井板などが約140メートルにわたって落下しました。報告書には、消防庁調べによる人的被害は死者9人、負傷者2人であったと記されています。国土交通省に調査・検討委員会が置かれました。委員会の調査は、事故の責任の所在を明らかにすることを目的に行うものではない、と報告書は冒頭で断っています。その調査のなかに打音試験が含まれており、点検員の耳が実際に何を聞き分けていたのかが、そこに記録されています。
試験の対象は、落下した区間を除く上り線全線で天井板を吊っていた接着系ボルト185本。穴に接着剤を入れて固定する種類のボルトです。点検員3名がそれぞれハンマーでボルトの頭を叩き、打撃音が清音か濁音か、反発感があるかないかを記録しました。判定が一致したのは175箇所で95%、不一致は10箇所で5%。委員会の資料は「点検員による判定のばらつきは少なかった」と書き、同じところで、ばらつきを減らすには判定方法を明確化すべきだ、とも述べています。
委員会の結論は、二つに分かれています。ひとつは、経験のある点検員であれば、近接目視と打音と触診によって、引き抜きに耐える力をほぼ失ったボルトを把握できることを確認した、というもの。もうひとつは、その方法では個々のボルトの引抜強度の正確な把握はできないことも、技術的な限界として確認された、というものです。壊れているかどうかは分かる。どれだけ持ちこたえるかは分からない。どちらも「確認した」と書かれています。なお報告書は、把握できることを確認したというこの結果について、笹子トンネルの条件下でのものである、とも断っています。
なぜ限界があるのか。別に作った試験体をセンサー付きの打音装置で叩いて分析したところ、打撃時の音や反発力は、ボルトにかかっている張力の影響など、さまざまな条件の影響を受けやすいことが分かったといいます。室内での実験では、強く締め付けると、接着剤の詰まり具合が違っても音の高さに目立った差が出なくなったとされています。ただし、この実験はデータのばらつきが非常に大きいとも書かれています。
対象は接着系ボルトではなくコンクリートのうき・剥離ですが、この耳を機械に置き換える取り組みも進んでいます。ハンマーの代わりに強いパルスレーザーでコンクリートの表面を叩き、耳の代わりにレーザードップラー振動計で表面の振動を測る装置が、すでにトンネルの点検で使われています。名古屋大学の中村光氏を代表とする研究では、これを橋にも使えるよう改良し、計測を速くする開発が行われました。報告書の図には「同じ原理」と書き添えられています。内部に欠陥があれば数ミリ秒以上にわたって減衰振動が観測され、振動周波数にピークが生じる。欠陥がなければ振動は速やかに収まる、と説明されています。もっとも計測時間は、当初は人力の打音検査の約4.2倍かかっていたそうです。研究のなかで約2.2倍まで縮まり、今後の改良で最大1.2倍までは期待できる、と書かれています。まだ、耳のほうが速いのです。
叩いた音で中の状態を当てるのは、楽器を扱う場所でもしてきたことです。板を軽く叩いて、接着がはがれていないかを見る。あれを「勘」と呼ぶのは、たぶん少し違うのだろうと思いました。聞いているのは、音の高さや、減り方や、返ってくる手ごたえなのではないでしょうか。ただそれを言葉にする手立てを持っていないだけで。
壊れていることは聞こえても、どれだけ持ちこたえるかまでは、まだ誰にも聞こえません。
―― 気づいていないだけで、あなたは今日も音に動かされている。
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